〈日本史〉近世末期の外国船への対応法令まとめ

 今回は、近世末期にやってきた外国船への対応法令についてまとめました。

文化の撫恤令

 ロシア船などが相次いで日本に来たことに対して、幕府は文化の撫恤令を出しました。これは、日本に来てしまった外国船に対して薪や水などを差し出した上で帰ってもらうように定めた法令です。外国との無駄な対立を避けるのにはちょうどいい政策ですね。

異国船打払令

 ところが、フェートン号事件やゴルドンによる通商要求などで、イギリスが大暴れしたので、幕府は異国船打払令を出しました。オランダや清などの交流がある国以外の船は全て大砲で撃退するように定めたのです。しかも躊躇うことなく打つように命じたことから無二念打払令ともいいます。

 ただし、これで事件が起こりました。それがモリソン号事件です。漂流した日本人を返しに来たアメリカ船モリソン号を日本側が撃退してしまったのです。高野長英や渡辺崋山らが大批判し、それが蛮社の獄につながりました。

天保の薪水給与令

 ただし、1842年には再び薪水給与の方針に戻しています。これは、アヘン戦争で中国が負けたことが影響しました。なんせ、アジアのリーダーである中国がイギリスにボロボロに負けた訳ですからね! 日本もイギリスと戦ったらマズいと判断したのでしょう。

日米和親条約

 1854年に結んだ日米和親条約では、漂流民の救済と必需品の供給が約束されました。ここでも実質は前の法令と内容変わりませんね!

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