〈政経〉政党解説 社会民主党

公民

 さあ衆議院総選挙まであと5日ですね。今回は、社会民主党について、その前身となった日本社会党も含めて解説していきます。

党史

結党

 太平洋戦争に向けて、政党は解散して大政翼賛会にまとまりました。この際に、合法的に活動していた社会主義政党もここに合流しました。言い換えれば、共産党は非合法だったので参加していません。それどころか、幹部は大体獄中でしたね。

 戦争が終わって改めて政党再建の動きが始まりました。ここで、かつての合法的な社会主義勢力(つまりは共産主義勢力以外)は、一気に1党に結集しました。これが日本社会党です。そして新憲法下初の総選挙にて第一党となったので、民主党国民協同党とともに連立政権を樹立しました。これが片山哲内閣です。

 ただし、当時の社会党は党内対立がかなりありました。まあ社会主義の中でも、急進的な人と穏健な人といるわけですよね。そういう左右対立が凄かったわけです。結果左派の人たちは片山内閣への入閣が認められず、事実上の野党みたいになってしまったのです。与党内対立などの影響で片山内閣はそのまま瓦解しました。続く芦田均内閣も社会党は与党として参加していましたが、昭和電工疑獄事件で芦田内閣も倒れると、社会党はいよいよ野党になりました。

 1950年には社会党が左派と右派で分裂することになりました。左派のトップは鈴木茂三郎、右派のトップは河上丈太郎です。分裂期は、左派の人気が高かったようです。

55年体制

 再び社会党でまとまったのは、1955年です。これ以降は、鈴木茂三郎委員長、浅沼稲次郎書記長の体制で日本社会党が再スタートをきりました。同年に自由党と民主党が保守合同で自由民主党となりました。これ以降の政治体制を55年体制と言います。

 55年体制は自由民主党と日本社会党の二大政党制というのが基軸でした。しかし、現実的には日本社会党は衆議院議席の3分の1を取るのが限界で、過半数を超えていたのは常に自民党でした。そのため揶揄の意味を込めて力関係を「1と2分の1政党制」と表現する人もいます。実際に、1960年の安保闘争では、社会党は全面反対したものの結果として自民党に押し切られる形になりました。あ、言い忘れてましたが、社会党は自衛隊を違憲としている立場ですからね。

 一方の自民党も議席の過半数を取ることはできましたが、改憲勢力に当たる3分の2を確保することはできませんでした。こうした形で長年にわたって政治情勢が維持されてきたのです。

 ところが1976年、自民党は初めて衆議院の過半数を確保できませんでした。これ以降、社会党による政権交代も「ワンチャンいけるんじゃね」というノリになってきます。これまでは自民党の半分しか議席を取れなかったのが、自民党が過半数を下回ったことで、本格的に政権交代に向けて動いていくことになります。具体的には公明党や民主社会党などと連携していくようになりました。ところが、公明党や民主社会党は自民党との距離も縮めていったため、決め手には欠けていました。

日本社会党の”復権”と”終焉”

 1980年以降も、自民党が大勝したり、逆に与野党で伯仲したりと展開は続きますが、なかなか社会党が大きく伸びることはありません。それどころか、1986年の衆参ダブル選挙では、ボロ負けです。このような中で社会党の代表になったのが、有名な土井たか子です。当時の自民党は、消費税創設とリクルート事件によって批判に晒されていました。そのような中で土井たか子という超人気政治家が出てきたことで、実際に1989年の参議院選挙では自民党を上回るようになりました。土井たか子一人の人気でここまで日本社会党が躍進したため、この時期の情勢は土井ブームと呼ばれています。

 しかし翌年の1990年に行われた衆議院総選挙では、社会党は大きく議席を伸ばしたものの、自民党の議席は減りませんでした。ここで政権交代を掲げていた社会党は、残念な結果に終わってしまいます。この翌年には土井たか子委員長も退いてしまいました。

 次のチャンスは1993年の衆議院総選挙でした。この時は”新党ブーム”と呼ばれ、さまざまな新党が選挙に出てきました。その中で、自民党は過半数を下回り、これまでで最も低い議席数となりました。宿敵の自民党が潰れたことで社会党の議席数が増えたのかと思いきや、社会党も新党に埋没してしまい、議席数を減らしました。

 しかしこの総選挙後には、非自民・非共産の細川護煕連立内閣が誕生しました。ここに社会党も参加することになります。ただし与党第1党であるにもかかわらず、他の新党に押される形になってしまい、主要閣僚のポストを得ることはできませんでした。続く羽田孜連立内閣にも連立与党として参加するはずでしたが、喧嘩した挙句、社会党は政権から離脱することになります。まあ排除されたって言い方の方が正しいですかね。当時の社会党委員長は、村山富市です。

 一方、政権奪回に執念を燃やす自民党は、羽田孜政権の終了に際して衝撃の行動に出ます。長年の宿敵であった、日本社会党を取り込んだのです。ある意味で、少数与党の連立政権から排除された者同士ですからね。ここで連立を組みます。新たに誕生したのが、村山富市内閣です。もう一度言っておきますが、これは長年対立してきた自由民主党と日本社会党の連立政権です。あ、プラスで新党さきがけという政党も参加していますが。自民党と社会党が組むことで問題が起こるのですがわかりますか? 先程ちらっとお話しした自衛隊ですよ。社会党はあくまで自衛隊反対の立場をとってきたわけです。そのため、この政権を成立させるタイミングで、社会党は「安保容認・自衛隊合憲」の立場に急遽転換します。想像つくかと思いますが、まあこんな都合のいい話はないですよね。政権とった瞬間に、自衛隊を合憲にしますって方針転換してしまうわけですから。これで一気に人気は落ちます。そして1994年に新進党が結党されたことで、衆議院第3党に格落ちします。

社会民主党

 参議院選挙でも大敗したことで、1996年に村山富市内閣は総辞職します。そしてこの年に、日本社会党は社会民主党に名称を変更しました。これが現在まで繋がっている、社会民主党になります。

 その後、1996年に民主党が結党されると、こちらに約半数の議員が参加しました。社会民主党はここで一度縮小します。また、自民党との連立政権も1998年の段階で離脱することになります。

 2000年の選挙では、土井たか子が再び党首になったことで若干盛り返して、19議席を獲得しました。しかし2003年の選挙では、民主党に押されてしまい6議席にとどまります。しかも土井たか子自身も小選挙区で落選して比例復活という結果でした。

 これで土井党首は辞任します。続いて党首になったのは福島瑞穂です。しかし厳しい戦いは続きます。衆議院選挙の当選者数も1桁が続きました。

 2009年の衆議院総選挙では、自民党が歴史的な大敗をしました。ここで民主党の鳩山由紀夫を中心とする内閣が誕生しましたよね。鳩山内閣に、社民党も与党として参加することになりました。与党復帰は11年ぶりです。そして、福島瑞穂党首が閣僚になりました。しかし与党の中で揉めたんですよ。ことの発端は、普天間基地の移設問題です。鳩山首相はスピードを重視して普天間基地の辺野古移設を決めます。それに対して社民党の福島瑞穂党首は国外が県外への移設を主張しました。沖縄の味方についたのです。鳩山首相は普天間基地移設への同意の署名を福島大臣に求めましたが、福島大臣はこれを拒否しました。そのためここで閣僚を罷免されています。福島党首の大臣罷免を受けて社民党は連立政権を離脱しました。ちなみに、この事件直後の社民党の沖縄での支持率は10%を超えてトップになったそうです。沖縄県民の多くは今でも辺野古移設に反対しているわけですからね。

 以後は民主党を批判する立場になりました。民主党政権崩壊後にも、社民党の縮小は止まりませんでした。1人、また1人と離脱して行ってしまったのです。2013年の参議院選挙でも結果がイマイチだったことで、福島瑞穂党首は辞任しました。次に党首になったのは吉田忠智です。しかし社民党の議席数は数議席が限界でした。

 2015年以降は、反自民でまとまって野党共闘の動きが始まりました。これに社民党の便乗します。そして2016年の民進党結成時には、吉田代表が参加の意思を示したものの、福島瑞穂氏などの猛反発を受けて撤回しています。結局2016年の参議院選挙は単独で戦いました。しかしここで吉田代表は落選するというまさかの結果に終わります。

 議員でない状態で吉田忠智が代表を続けていましたが、2018年の任期満了をもって退任します。次に代表になったのは又市征治です。その後は立憲民主党などと連携しつつ、独自の立場を保ってきました。ただし参議院選挙のたびに党存続の危機に晒されるのは事実です。2016年もギリギリ党の成立要件を満たしているくらいですからね。2019年の参議院選挙でもどうなるかと危ぶまれていましたが、吉田忠智氏がかろうじて当選したため、ここでも首の皮一枚繋がります。

 2020年以降は立憲民主党への合流を模索し始めます。又市征治代表も吸収合併を容認する方向でいましたが、国民民主党と立憲民主党での話し合いが決裂すると一転して慎重姿勢になります。また、2022年2月には党首選が行われ、ここで福島瑞穂氏が党首に復帰しました。

 以降も立憲民主党との合流協議は続きました。地方では社民党の名前を残すべきという意見も出てきました。そりゃそーだ。これまでの歴史を見ればわかるでしょ。残したい人もいるよ。結果として、福島瑞穂党首は社会民主党に残り、それ以外の吉田忠智氏をはじめとする多くの議員が立憲民主党に合流することになりました。残った議員は福島瑞穂と照屋寛徳の2名だけになります。しかし分裂後も、福島瑞穂党首は立憲民主党との連携を継続しています。

 今回、社会民主党は公示前に1議席もっていました。10数名の候補者を擁立する中で、しっかりと議席を維持あるいは増加させることができるのか。注目ですね。

政策

 基本理念は「社会民主主義」です。憲法改正は反対。脱原発、格差是正などがあります。まあ皆さんのイメージする「社会主義」とは少し違うと思います。あれはどちらかといえば共産党ですね。

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