〈日本史〉歴史人物解説 平城天皇

日本史

 今回の歴史人物解説では、平城天皇について解説していきたいと思います。桓武天皇の次の天皇ですね。

皇太子への就任

 785年に藤原種継暗殺事件が起こったことで早良親王が廃太子されました。よって、次の皇太子として注目されたのが桓武天皇の息子の安殿親王でした。これがのちの平城天皇です。

 平城天皇は、式家の藤原薬子を寵愛していました。これに桓武天皇がごちゃごちゃ文句言ってたんですね。結果藤原薬子は追放されます。こういったことが、平城天皇が桓武天皇に後々反発していくことにつながりました。

天皇の期間

 806年、桓武天皇が崩御しました。そして平城天皇が即位します。これで藤原薬子を都に連れ戻すとともに、その兄の藤原仲成も重用しました。

 平城天皇は、年中行事をやめたりをおこなって経済の立て直しに努めます。なんたって桓武天皇はかなりお金使っちゃったしね。

 ところが809年、平城天皇は弟に譲位して上皇になってしまいました。これは病気を理由の退位でしたが、高岳親王(平城天皇の子)が皇太子になりました。平城天皇は、平城京に移りました。これが”平城”の理由ですよね。

上皇の期間

 ところが藤原薬子・仲成は譲位に大反対していました。そこで平城上皇に平城京への遷都と上皇の復位を狙わせます。これで一時的に二所朝廷という状況が生まれます。しかしここで嵯峨天皇側についた坂上田村麻呂の活躍によって、平城天皇の重祚は阻止されました。そして、藤原薬子は自殺し、仲成は射殺されました。平城上皇はこのまま出家してしまいます。

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