〈日本史〉基礎通史 番外編 日露戦争③

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みなさんこんにちは!今回の日本史基礎通史番外編 日露戦争は203高地からやっていきます。

203高地というのは中国にある旅順港近くにある高地のことです。日露戦争を遂行する中で日本海軍が自由に行動するためには旅順港に閉じこもった旅順艦隊を何としても撃沈させるか、もしくは閉じ込めるしかありませんでした。

日本陸軍は旅順を攻略するために、第三軍を編成しました。第三軍の司令官は乃木希典、参謀長は伊地知幸介です。第三軍の指揮下には、第一師団、第七師団、第九師団、そして騎兵第二旅団が配属されました。ちなみにこの三師団の中で一番有名なのは第七師団かもしれません。第七師団は、最近完結した漫画ゴールデンカムイに登場します。師団の司令部を北海道の旭川におき、日本の北の守りを引き受けていました。そのことから北海道の人々はこの第七師団を北鎮師団と呼びました。ちなみにこの第七師団読み方は「だいしちしだん」です。これは明治天皇が第七師団を「だいしちしだん」と読んだことが由来です。ちなみに今の陸上自衛隊の第七師団は「だいななしだん」と呼ばれています。漫画のゴールデンカムイは大変面白い漫画なのでぜひ読んでみてください。

さあ、話を戻します。第三軍を編成した陸軍は、203高地を初期のうちは重視しませんでした。203高地はロシアもそこまで重視していませんでした。なぜならロシアが布陣する防御線からは離れていたため、そこまで大規模な兵力は展開されていませんでした。しかし、ロシアは203高地に対しても要塞化の工事は行なっていました。

その後、連合艦隊にバルチック艦隊がウラジオストクに向けて出航したとの報告が入りました。その報告に対して海軍は旅順艦隊の壊滅もしくは封鎖が一層必要になりました。そのため、旅順艦隊に対して打撃を与えられる作戦を立案、実行するように陸軍に要請しました。一方の第三軍は旅順要塞を攻撃し撃破しなければ、第三軍はこの地から離れることができず進軍できない、よって攻撃目標は203高地ではなく旅順の要塞本体であると主張しました。その後の御前会議で203高地の攻撃が決まったことから第三軍は攻撃目標を203高地に変更しました。203高地の戦いの様子は上記のURLから見れますので、ここでは省略させていただきます。

203高地を多大な犠牲を払って確保した日本軍は旅順港に潜む旅順艦隊を攻撃し、これを無力化することに成功しました。そのおかげで日本海軍は、連合艦隊を一旦本国に帰すことができ、そこで来るバルチック艦隊との決戦に向けて、艦隊の補修を行うことができました。

次に解説するのは、日本騎兵の父である秋山好古についてです。秋山好古は海軍の秋山真之の兄であり、陸軍士官学校を卒業した陸軍軍事です。フランスに留学式兵を学び、帰国後は日本陸軍の騎兵育成に力を入れ、日露戦争では騎兵を率いて戦いました。この秋山好古率いる騎兵部隊が勝利に大きな貢献をしたと言われているのが、奉天会戦です。旅順での戦位が終わった後の最も大きな戦いは、奉天会戦です。奉天会戦についてはまた今度。

ではまた次回!

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