〈日本史〉歴史人物解説 藤原冬嗣

日本史

 今回は藤原冬嗣について深掘りしていきたいと思います。

藤原冬嗣とは

 藤原冬嗣は、北家の人物になります。藤原房前のひ孫にあたります。当初から嵯峨天皇に信頼を寄せられており、式家とはやや距離がありました。

 桓武天皇・平城天皇のころから順調に活躍しており、嵯峨天皇の即位に合わせて大きく昇進しました。

薬子の変

 事態が大きく動いたのは、810年の薬子の変です。平城天皇が、藤原薬子・仲成の支援のもとで、復位を狙おうとしたのです。これに対して、藤原冬嗣は真っ先に嵯峨天皇側につき、坂上田村麻呂などと一緒に薬子の企みの阻止に成功しました。

 また、このタイミングで蔵人所が設置され、蔵人頭に巨勢野足と共に就任しました。薬子の変以降は北家が力を持つようになりますが、この始まりとなったのが藤原冬嗣だったわけです。

文化事業など

 藤原冬嗣は嵯峨天皇の文化事業などを支えました。『弘仁格式』の編纂の中心となったのも、藤原冬嗣です。また、『文華秀麗集』の撰定にも大きく関与しました。

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