このシリーズでは日本史を通史で解説していきます。赤文字も部分は覚えておいて欲しい部分になります。このシリーズは一番大切な部分を重点的に解説するので、必要最低限の知識を身につけてもらうことを目的としています。日本史は細かいことを覚えた時に、一番基本の知識が抜けてしまっている場合があるので、基本知識だからといって気を抜かないでなって欲しいと思っています。
人物の紹介などは気が向いた時にちょくちょくやっていくつもりです
旧石器時代
約1万年前までの時代を更新世と言い、氷河時代とも言われています。この時代の日本列島は氷期になるとユーラシア大陸と陸続きになり、北方からマンモスやヘラジカ、南部からナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物が渡ってきました。
地球の人類は猿人→原人→旧人→新人と進化してきました。日本では、静岡で浜北人、沖縄で港川人と山下町洞人などの化石人骨が発見されています。これら浜北人や港川人は新人です。
旧石器時代は生産活動を行わず、狩猟 採取 漁猟の採集経済を行なっていました。人々は打製石器(旧石器)を使用し、定住せずに獲物などを追うために、移動しながら生活をしていました。打製石器は握斧などの楕円形石器から、石刃などのナイフ形石器、尖頭器、細石器と進化していきました。
旧石器時代の遺跡には、北から順に 白滝(北海道) 岩宿(群馬県) 野尻湖(長野県) はさみ山(大阪府) 早水台(大分県)泉福寺洞穴 福井洞穴(ともに長崎県)などがあります。特に重要なのが岩宿遺跡です。1946年に相沢忠洋が関東ローム層から発見した遺跡です。
縄文時代
縄文時代になると、気候が温暖化し、氷河期時代が終わりました。そうすると海水面が上昇しました。これを縄文海進と言います。海水面が上昇したことで日本列島は大陸と陸地で接することがなくなり、大型の動物が入って来なくなり、変わってシカやイノシシなどの中小動物が増加しました。
縄文時代も旧石器時代と同じように採集経済が行われていますが、地域によって原始農耕が始まっている地域も存在しています。有名なのが福岡県の板付遺跡、佐賀県の菜畑遺跡の二つで、縄文時代晩期に稲作が行われていました。縄文時代には旧石器時代の打製石器に加えて磨製石器(石鏃・石匙など)が使われていました。他にも、縄文土器・骨角器などが使われるようになりました。人々は竪穴住居に暮らし、身分差はなく平等な生活を営んでいました。縄文時代は死者が悪いことをしないように、埋葬する際に手と足を縛って体を屈折させる屈葬が行われていました。また、呪術用の土偶・石棒がつくられたり、成人すると抜歯をしたりと通過儀礼の風習に見られるように、あらゆる自然物や自然現象に対して畏れ敬ったアニミズムの文化が見られます。このアニミズムという単語、試験の時に「あれ、アミニズムだっけ?アニミズムだっけ?」ってことありませんか?私は「アニマル」という単語からアニミズムという単語が生まれたと考えたので、アニマルだからアニミズムと覚えていました。縄文時代といえば黒曜石。黒曜石の産地として有名なのが、北海道の白滝・十勝岳 長野県の和田峠 大分県の姫島 熊本県の阿蘇山が挙げられます。ヒスイは新潟県の姫川流域、サヌカイトは大阪府と奈良県の県境の二上山が挙げられます。
縄文時代の文化は、草創期 早期 前期 中期 後期 晩期の6つの時期に分けられます。この6つの時期は覚えてください。縄文時代は貝塚が多く作られています。有名なものは、千葉県の加曽利貝塚 東京の大森貝塚 などが挙げられます。もちろん貝塚として名前が上がるのはこの二つ以外にもありますが、この基礎通史では基本の知識を覚えてもらうのが目的なので、とりあえずこの二つの貝塚は確実に覚えておきましょう。大森貝塚は1877年に明治政府が海外から呼んだ御雇外国人のアメリカ人動物学者モースが発見したことで有名です。遺跡としては、亀ヶ岡遺跡 三内丸山遺跡(ともに青森県)大湯環状列石(秋田県)板付遺跡(福岡県)菜畑遺跡(佐賀県)などが有名です。亀ヶ岡遺跡は縄文後期から晩期の遺跡、三内丸山遺跡は縄文前期から中期にかけての巨大遺跡です。大湯環状列石は縄文後期の遺跡となっています。いま挙げた遺跡はとても大切なので覚えておいてください。
おわりに
今回のUPが初めてなので、まだまだ記事や解説のクオリティーは低いと思いますが、少しづつクオリティーをあげていければいいなと思っています。なので途中で書き方や構成が大きく変わるかもしれません。次回は弥生時代の説明と簡単な小テストをやるつもりです。一週間以内にUPすると思います。
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