〈日本史〉版籍奉還と廃藩置県の違いと結果を徹底解説!

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 今回は明治新政府の初期政策であった、版籍奉還と廃藩置県について解説して行きます!

明治政府の目的

 1867年、徳川慶喜によって大政奉還がなされました。これで政治的権力は朝廷に移されましたね。ただし、あくまで藩という仕組みは残っていました。新政府の課題は、そうした地方まで命令を届けられるような中央集権体制を作ることでした。

版籍奉還

 そのための第一段階として版籍奉還が実施されました。建議したのは大久保利通と木戸孝允です。この段階での狙いは、これまでの藩主の”上司”を将軍から天皇に切り替えることです。そのために、藩主に対して土地と人民を国に返してもらうことにしました。ただし、旧藩主は新たに知藩事として、その地を治めることになります。つまり藩主にとってみれば、上司が天皇に変わっただけで、統治体制はこれまでとなんら変わりありません。

 しかもこれを薩長土肥の4藩が先行して実施しました。そして他の藩も追随するようにしたのです。練りにねられた版籍奉還でした。

廃藩置県

 そして、1871年にはいよいよ廃藩置県が断行されました。ここでは知藩事を一斉にクビにして東京に移住させ、新たに中央から府知事・県令を派遣しました。版籍奉還で藩主の上司が天皇になっていたことで、「クビ!!」という権利が天皇にはありました。

 さすがにこれは旧藩主も反抗する可能性がありました。だって版籍奉還の時と違って、自分の領地が消えるようなものですからね! そのため、薩長土の3藩で御親兵を結成して旧藩主の反乱に備えました。結果としては、さほど大きな滞りなく廃藩置県を実行することができたようです!

 この結果、中央の命令が地方まで届くような中央集権体制が完成しました。そしてこの後、地租改正や徴兵令などまさに近代日本の根幹となるような仕組みが完成していくわけですね!

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