〈世界史〉ローマの身分闘争の流れを徹底整理

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共和政の樹立

 B.C.509年、エトルリア人の王を追放し、共和政が成立しました。

聖山事件

 B.C.494年、平民がストライキで山にこもるという事件が起こりました。これに対して、貴族が平民に妥協しました。具体的には、元老院の決定に拒否する権利を持つ護民官を設置し、さらに平民会も設置されました。

十二表法

 B.C.450年頃、十二表法が制定されました。ただしこれの内容は、かなり貴族寄りのものです。あくまで大事なことは、法律が成文化されたことです。これによって、貴族だけが持っていた法知識が平民にも公開され、平民が付け入る隙ができたのです。

リキニウス・セクスティウス法

 B.C.367年には、リキニウス・セクスティウス法が制定されました。ここでは、公有地の占有を制限するとともに、コンスルの1人を平民から選ぶことが義務付けられました。

ホルテンシウス法

 B.C.287年には、ホルテンシウス法が制定されました。ここでは、平民会の議決が元老会の承認なしで国法となることが定められました。これをもって、ローマの身分闘争は終結したと考えられています。

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