今回はアンボイナ事件に焦点を当てていきましょう。
ヨーロッパ諸国の東南アジアへの進出
大航海時代以降、ヨーロッパ諸国はアジアの方へ進出していました。ポルトガルについてはセイロン島・マラッカ王国・モルッカ諸島を制圧し、スペインはフィリピンを領有していました。ここまでは16世紀の話ですね。
17世紀には、ここにイギリスとオランダが進出してきましたね。オランダやイギリスはモルッカ諸島へ進出を試みました。ここに香辛料があったからです。そもそも大航海時代の目的の1つは、香辛料の獲得でしたよね! ところが、ここでイギリスとオランダがバチバチに対立するのでした。
アンボイナ事件
ところが1623年、アンボイナでアンボイナ事件が起こります。オランダ商人の人が、イギリス商館員20名にケチをつけて処刑してしまったのです。
イギリスはこの時、反撃することはできませんでした。結果、イギリスは東南アジアから撤退してしまいました。ちなみに、同じ年にイギリスは日本との貿易も撤退しています。理由は、やはりオランダです。オランダとの貿易競争に敗れてしまいました。
これで東南アジアはオランダのみになりました。オランダは1624年には台湾にゼーランディア城を建設し、香辛料貿易もほとんど独占しました。
イギリスはどうなったのか
東南アジアと日本から撤退したイギリスは、インドの植民地経営に力を入れるようになります。マドラス・ボンベイ・カルカッタを建設し、インド産の綿織物(キャラコ)をヨーロッパに輸出しました。
ちなみにこの後、ヨーロッパにおいては香辛料の需要が減少し、インドの綿織物の人気が上がってきました。これが、のちにオランダの勢力が後退し、イギリスが覇権を握った原因の1つとなりました。

TMT専属ライター。Study by TMT代表。
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