〈日本史〉歴史人物解説 藤原忠平

日本史

藤原忠平とは

 藤原忠平は、藤原時平の弟になります。つまり藤原基経の子供ですね。彼は、藤原時平亡き後に実権を握りました。

権力の掌握

 宇多天皇の時代の後半には、藤原時平と菅原道真が中心となって政治が行われていました。醍醐天皇が即位すると、時平は左大臣、道真が右大臣になりました。ところが道真は昌泰の変で失脚しましたよね? さらに909年には藤原時平が亡くなってしまいます。こうして次に権力をとったのが、ふじわら忠平でした。914年には右大臣となり、延喜の治を担っていきました

 醍醐天皇の没後は朱雀天皇が即位しました。そしてこのタイミングで摂政に就任します。宇多天皇の関白であった藤原基常以来の摂関就任でした。そして朱雀天皇が元服すると、関白になりました。この時代、平将門や藤原純友による反乱(承平天慶の乱)が起こりましたが、こちらも無事に鎮圧されました。

 続いて村上天皇が即位しても、そのまま関白を続けました。そして949年に亡くなりました。909年に権力をとってから、40年です。忠平の時代、大したことが起こらないので授業では飛ばされがちですが、結構長いんですよ!

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