こんにちは。今回は、第二次世界大戦中に行われた連合国による首脳会談をまとめて行きます。みなさんややこしくなっているところだと思いますので、1つ1つ整理していきましょう。
大西洋上会談
1941年8月に、大西洋のプラセンティア湾で大西洋上会談が開かれました。参加したのは、アメリカのフランクリン=ローズヴェルト大統領とイギリスのチャーチル首相です。確認ですが、この段階ではアメリカは戦争に参加していませんよ。参戦するのは12月の太平洋戦争開戦からです。ただしこの5ヶ月前に武器貸与法を成立させており、連合国としての立場はある程度明白でした。
ここでは大西洋憲章が発表されています。大西洋憲章に書かれた内容については、戦後の重要な取り決めのもとになっています。戦後の共同軍縮や貿易障壁の引き下げなどがその代表例ですね。
連合国共同宣言
1942年1月に出されたのが連合国共同宣言です。ここではアメリカ・イギリス・ソ連・中華民国の四カ国が共同で宣言を発し、ファシズムとの戦いを明示しました。そしてこの宣言が、国際連合憲章の基礎になっています。
カサブランカ会談
1943年の1月から、モロッコでカサブランカ会談が開かれました。参加したのはアメリカのフランクリン=ローズヴェルト大統領とイギリスのチャーチル首相です。
この会談で、シチリア島への上陸作戦の実行を決め、枢軸国への無条件降伏要求を行うことを合意しました。実際にシチリア島に上陸されたイタリアでは、直後に降伏しています。
カイロ会談
1943年11月から、エジプトでカイロ会談が開かれました。参加したのは、アメリカのフランクリン=ローズヴェルト大統領とイギリスのチャーチル首相に加え、中国の蔣介石です。中国はアメリカやイギリスからの支援に期待してノリノリでこの会議に参加しました。
ここでカイロ宣言が発表され、日本の降伏や台湾・澎湖諸島・満州の中華民国への返還などが言及されています。
テヘラン会談
カイロ会談と同じ1943年11月には、イランでテヘラン会談も開かれています。ここではアメリカのフランクリン=ローズヴェルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンが参加しています。そして、ここであの有名なノルマンディー上陸作戦の実行を決定しました。
ヤルタ会談
1945年2月にはヤルタ会談が開かれました。ここでもアメリカのフランクリン=ローズヴェルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンが参加しています。
ここで、ドイツの4カ国分割占領を決定しました。また、ソ連の対日参戦や千島・南樺太占領も秘密条項として決定されました。なぜ秘密条項なのかは分かりますね。ソ連と日本は中立条約を結んでいるからですよ。日本にバレたら大変ですからね。
ポツダム会談
1945年7月にはポツダム会談が開かれました。ここではアメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンが参加しています。ただし会議の途中に首相が交代した関係で途中からチャーチルに代わってアトリーが継いでいます。
ここでポツダム宣言が発表され、日本軍への降伏を求めました。ただしここでの名義は、米・英・中の3カ国になります。ソ連については日本と中立条約を結んだ関係で宣言には初期の時点で参加せず、追認という形をとります。
ポツダム宣言に対して日本は”無視”の姿勢を取りましたが、ついに8月14日に受諾を決め、9月2日にミズーリ号の上で正式に調印し、第二次世界大戦は終結となりました。
まとめ
以上が、会談の流れです。入試では地図に絡めて出題されることも多いので、会議が開かれた場所もチェックしながら暗記していきましょう。
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