フランスの七月革命と二月革命について、この記事で整理していきたいと思います。
ブルボン復古王政
ナポレオン時代が終わった後、ブルボン朝の王政復古が行われました。新たに国王に就任したのはルイ18世です。彼はフランス革命で処刑されたルイ16世の弟です。彼は比較的、革命派を尊重した中道政治をとりました。
ところが、次のシャルル10世が”やっちゃった”んですね。就任早々、反動政治を強化してしまいます。革命勢力をつぶす方向にもっていくわけですね。
民衆はなんて言うと思います? もちろん大反対します。民衆に嫌われたシャルル10世は不満を外に向けようとしてアルジェリア出兵を強行しましたが、アルジェリアのとんでもない抵抗に遭ってしまいます。
七月革命
そして、ついにブルボン復古王政を打倒しようという動きが出てきます。シャルル10世は王位を追われ、イギリスに亡命しました。これを七月革命と言います。
「さあいよいよ共和政の時代か」と思いきや、ここで”あの男”が再び王政とする意向を示します。ラ=ファイエットです。彼はフランス革命で活躍しましたが、まだ現役バリバリで活動しておりました。そんなラ=ファイエットが国王に指名したのはオルレアン家の自由主義者であるルイ=フィリップでした。ここで成立した政体を七月王政と言います。
ルイ=フィリップは”金持ち”を優遇する政治をしました。あくまで民主化されてはいますよ。ただそれでも、大ブルジョワジーが支配する社会へとなってしまい、労働者や中小資本家は「選挙権をくれ」「政治に参加させろ」と文句をぶつけます。
二月革命
そしてついに二月革命がおこりました。パリの共和派の市民や労働者が蜂起しました。そして、首相のギゾーと国王のルイ=フィリップはイギリスに亡命しました。フランス人って、困ったらイギリスに逃げるよね(笑)
ここで新たに成立した政体を第二共和政と言います。ここでは共和主義者・社会主義者などで臨時政府が作られました。特に社会主義者として有名なのがルイ=ブランです。彼は失業者救済を目的に国立作業場という施設を作りました。ところがこの国立作業場が評判最悪。なんかね、サボってても給料出たらしいですよ。そりゃ怒るよね、普通の資本家とかは。
というわけで4月にフランス初の普通選挙が行われましたが、ここでは社会主義勢力が惨敗します。そして翌月には国立作業場は閉鎖になります。これによって社会主義者に守られていた貧しい労働者がブチぎれて六月暴動を起こします。
このようなゴタゴタがあった結果、民衆はこう考えました。「必ずしも共和政にする必要はないのでは」「やはりこういう混乱をまとめてくれるのは、1人で何でもやるリーダーなのでは」ということです。こういった考えに便乗して生まれたのがナポレオン三世というフランス史上2人目の皇帝です。
臨時政府のゴタゴタが終わったあと、ナポレオンの甥であるルイ=ナポレオンはクーデタによって政治を掌握し、その後ついに皇帝ナポレオン三世になります。そして対外遠征をいろいろ派手にやっていくわけです。
ナポレオン三世の対外遠征についてはこちらをご覧ください。
まとめ
ということで今回は、ブルボン復古王政から二月革命にかけて詳しく解説しました。よく整理しましょうね~
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