今回は、ナポレオン三世による対外進出について一気に解説していきます。
覚え方は「クアイン、イタメップ」
なんのこっちゃという感じでしょうので、解説していきます。
クリミア戦争
デビュー戦では、いきなりロシアとガチンコバトルです。イギリス・フランス・サルデーニャの連合軍でロシアを破って、見事勝利しました!
アロー戦争
続いては、東アジアの「眠れる獅子」こと中国と一悶着です。宣教使殺害事件を口実に、フランスはイギリスと連合で中国をボロボロに倒しました。絶好調ですね!
インドシナ出兵
アロー戦争に続いて、フランスはアジアで大暴れです。次に目を付けたのはインドシナになります。この段階で、後のフランス領インドシナの原型が作られていきました。
イタリア統一戦争
ナポレオン三世はアジアばかりに目が行ってるわけではありません。ヨーロッパでも一暴れします。イタリア統一戦争で、サルデーニャと密約を結び、イタリアに協力する代わりにサヴォイア・ニースを譲り受ける約束をしました。
フランスはサルデーニャとの密約に反して、オーストリアと早期講和をしましたが、それでもサヴォイア・ニースはフランスが領有することになりました。
メキシコ出兵
続いてはラテンアメリカに進出します。メキシコが対外債務返済の停止を宣言したことに対し、イギリス・フランス・スペインが武力干渉しました。フランス以外の2国はすぐに撤退したのですが、フランスだけはダラダラ残っていました。
そしてフアレス政権を倒し、弟のマクシミリアンをメキシコ皇帝に即位させました。ところがメキシコ人の猛反発に遭い、アメリカの抗議もあったことで、フランス軍は撤退しました。
プロイセン=フランス戦争
さあラストはプロイセン=フランス戦争です。新進気鋭のプロイセンが、ナポレオン三世に罠を仕掛け、宣戦させたことで始まりました。この戦争の途中、ナポレオン三世はセダンでプロイセン軍に捕えられ、ナポレオン三世の第二帝政は幕を閉じてしまうのでした。
まとめ
さあ、冒頭の「クアイン、イタメップ」の意味は分かったでしょうか。
クリミア戦争
アロー戦争
インドシナ出兵
イタリア統一戦争
メキシコ出兵
プロイセン=フランス戦争
各遠征の最初の文字を使って、強引に覚えられます。「クアイン、イタメップ」で順番も押さえられますので、並べ替え問題が出てきても怖くない!
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