日本史の文化史解説第2弾です。今回は白鳳文化を見ていきましょう
白鳳文化の概要
白鳳文化の時代っていつでしょうか? このように聞かれたらパッと答えられるようになってください。
白鳳文化=天武天皇・持統天皇の時代の文化
さあ皆さん、この時代の政治事情を振り返りましょう。中大兄皇子こと天智天皇が崩御すると、後継者争いの壬申の乱が勃発しました。これに勝った大海人皇子が天武天皇として即位しましたね! 天武天皇の奥さんが持統天皇になります。つまり、持統天皇は女です! ここ、注意してください。
なお、壬申の乱についての詳細はこちらをご覧ください。
それでは、白鳳文化のポイントをもう一つ。白鳳文化といえば…
初唐文化の影響を受けた仏教文化
確認です。初唐って大丈夫だよね? 618年に隋に代わって成立した唐の初期の影響を受けています。この頃に国家仏教が成立してきました。具体的には官寺が建てられています。具体的には、舒明天皇の大官大寺と天武天皇の薬師寺ですかね。
白鳳建築
白鳳文化の建築といえば1つだけです。
薬師寺東塔・・・天武天皇が皇后の病気平癒を祈って創建
薬師寺にある美しい塔です。アメリカ人のフェノロサが「凍れる音楽」と評しました。これが美しい表現になるのかな?(笑) この建物写真は絶対に見ておいてください。ぱっと見、六重塔くらいに見えると思います。しかし実際は三重塔です。余計に見えるのは、裳階(もこし)と呼ばれる”部分”があるためです。
天武天皇が皇后の病気平癒を祈ってとありますが、この皇后は後の持統天皇のことですね! ただ結果的に長生きしたのは皇后の方でしたね(笑)
白鳳彫刻
彫刻については、若干ややこしいです。まずは、最重要の1つを押さえてください。
興福寺仏頭・・・もとは山田寺にあった
白鳳文化の彫刻といえば、これです! 何が何でも、これだけは押さえてください。かつては山田寺(蘇我倉山田石川麻呂の氏寺)にあったのですが、興福寺に奪われて頭部のみが現存しています。
さて、次の2つもかなり重要です。ここまでは押さえましょう。
薬師寺金堂薬師三尊像・・・脇には日光・月光菩薩像も
法隆寺夢違観音像
この2つも割と出るので、覚えておいてほしいですね。薬師寺金堂薬師三尊像の脇には、日光・月光菩薩像もあります。この2体を脇侍と言います。
ちなみに難関大受験生のために、マニアックな彫刻も紹介しておきます。
薬師寺東院堂聖観音像
法隆寺阿弥陀三尊像
まあ、早稲田を受ける人はこのあたりの写真も見ておきましょう。
白鳳文化の絵画
白鳳文化における絵画について見ましょう。
法隆寺金堂壁画・・・戦後に焼失、文化財保護法のきっかけ
高松塚古墳壁画・・・装飾古墳、
キトラ古墳壁画・・・装飾古墳、朱雀を含む四神が描かれている
法隆寺金堂壁画が圧倒的に重要です。戦後すぐに火災で損傷を受け、これが文化財保護法制定のきっかけになりました。
高松塚古墳・キトラ古墳は後期古墳の一つである装飾古墳です。キトラ古墳壁画については、珍しく朱雀を含んだ四神が描かれています。ちなみに四神って分かりますか? 青龍・白虎・朱雀・玄武の四つです。マニアックな大学ではたまに登場します。
文芸
文芸については、具体的な作品名は出てきませんが、この時代に活躍した人は押さえておいてください。
漢詩文・・・大津皇子 大友皇子
和歌・・・額田王 柿本人麻呂
漢詩文については『懐風藻』、和歌については『万葉集』に作品が反映されることになります。これらの作品は、後に天平文化で登場します。
まとめ
以上が白鳳文化です。飛鳥文化・白鳳文化については、そこまで重いものではないですね。ただし、次回の天平文化についてはこれ以上ないくらい重いです。楽しみに待っていてください。
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