〈日本史〉文久の改革について解説!

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 今回は「文久の改革」に焦点を当ててみましょう。

きっかけ

 1862年、坂下門外の変で老中の安藤信正が襲撃され、彼は失脚してしまいました。いよいよ幕府の単独体制が厳しくなってきたころ、一つの藩が動き出しました。

 薩摩藩の島津久光です。彼は勅使の大原重徳を連れて幕府に改革の必要性を訴えました。そして、徳川家茂が改革を始めたのです。

改革の内容

人材登用

 まずは、人材登用です。一言でいうと、一橋派を復権させました。徳川慶喜を将軍後見職、松平慶永を政事総裁職、松平容保を京都守護職としたのです。さらに安政の大獄で処罰された人は赦免となりました。

軍制改革

 また、洋式の陸海軍を整備し、海軍奉行や陸軍奉行を設置しました。また、蕃書調所を洋書調所に改称しました。

留学生派遣

 留学生も派遣しました。榎本武揚、西周、津田真道らをオランダに派遣しました。

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