今回は、古代ローマが地中海統一に向けて動き出した最初の一歩である、ポエニ戦争について解説します。
背景
地中海に面するローマ半島では、古代ローマがついに半島全土を統一しました。最後まで抵抗したギリシア人植民市のタレントゥムが降伏したためです。
ローマは続いて地中海に進出していきます。西地中海の交易を当時独占していたのはフェニキア人植民市のカルタゴでした。カルタゴはアレクサンドロス大王の征服によって一時衰退しましたが、ギリシア支配が終わったあとも繁栄を続けました。
ということで、ローマとカルタゴが激突するわけです。これをポエニ戦争と言います。先に年代を覚えましょう。B.C.264~B.C.146です。十の位と一の位を入れ替えれると思えば、覚えやすいですよ~
第1回ポエニ戦争
それでは第1回ポエニ戦争の開幕です。ここでは20年以上に及ぶ戦いの結果、ローマが勝利しシチリア島を獲得しました。
第2回ポエニ戦争
続いて第2回ポエニ戦争です。イベリア半島のカルタゴ=ノヴァを出発したハンニバルが、イタリアに侵入したことでローマは大苦戦しました。紀元前216年のカンネーの戦いでは、数ではローマが勝るものの、ハンニバルの奇襲によってローマ軍は壊滅的打撃を受けました。
しかし、ここでローマの将軍である大スキピオが動きます。スペインを決死の覚悟で制圧し、さらに北アフリカのヌミディアも制圧、紀元前202年のザマの戦いに勝利しました。
第2回ポエニ戦争は、苦しみながらもローマが勝利します。
第3回ポエニ戦争
最後は第3回ポエニ戦争になります。苦戦した第2回と違って、第3回は比較的早く決着が付きます。ローマの将軍である小スキピオ(大スキピオの孫)が、カルタゴの街を徹底的に破壊しました。
ポエニ戦争の歴史的意義
この戦争によって、ローマは西地中海の覇権を握ることになります。しかし一方で様々な社会変化も起こってしまいます。
まずローマは、今回初めてローマ半島以外に領土を獲得しました。このような海外領土から安価な穀物がローマ半島に流入することになり、ローマ半島内の自作農が没落してしまいました。
また、第2回ポエニ戦争では実際にローマにまで侵入されましたので、ある意味ローマに”緊急事態”が訪れたわけです。緊急事態に対しては、独裁色が強まってしまうというのが歴史の鉄則ですので、ローマでも元老院の力は大きくなってしまいました。
さらに、これまで裕福な平民層であった人々が新たに獲得した利権を蓄えることで貴族に仲間入りすることも出てきました。そして新貴族(ノビレス)という新たな層を作り出され、ローマでは貧富の格差が拡大していくのでした。
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