〈日本史〉歴史人物解説 中大兄皇子

日本史

 毎週金曜日の歴史人物をクローズアップするコーナーです。今回は、大化改新のメイン人物である中大兄皇子を見ていきましょう。前回の聖徳太子編の内容も出てきますので、復習を兼ねて読んでください。

 これまでの『聖徳太子編』『中大兄皇子編』と、次回の『天武・持統天皇編』で3部作になり、それぞれが繋がっています。セットで見ることで、より理解が深まると思います。

中大兄皇子

 まずは中大兄皇子とはどのような人物なのか。確認ですが、この人は皇族です。”皇子”だもんね。では母親は誰でしょうか? 皇極天皇です。先週は聖徳太子を紹介しましたが、その時代の天皇が推古天皇でしたね。次が舒明天皇で、皇極天皇はさらにその次の天皇になります。

 ではここで問題、舒明天皇と皇極天皇の関係は分かりますか? これ意外なんですが、夫婦です。つまり舒明天皇の死後に、皇后が皇極天皇として即位したということですね。

 皇極天皇の時代は、蘇我蝦夷・入鹿が権力を持っていました。643年に彼らは、山背大兄王を殺害してしまいます。この人だれだったか覚えてますか? 聖徳太子の子供です。

 そして645年に、例の事件が起こるわけですね。

大化の改新~称制

 さあて645年です。この年号は絶対暗記ですよ。中大兄皇子は中臣鎌足とともに、皇極天皇の前で蘇我入鹿を殺害するクーデタをおこします。この事件を乙巳の変と言います。乙巳の変翌日に、蘇我蝦夷は自害しました。また復習です、蘇我蝦夷自害の際に焼失してしまった歴史書は何ですか? 『天皇記』ですね。『国記』については難を逃れた説もありますが、いずれにせよ現存してません。

 蝦夷自害の翌日、孝徳天皇が即位しました。さて問題です、孝徳天皇と中大兄皇子の関係は何でしょう? おじとおいの関係です。おじということは、母親の兄弟ですね。つまり孝徳天皇は、皇極天皇の兄弟です。

 大化の改新が始まっていった後の政治を見ていきましょう。中大兄皇子は、自分の地位を脅かす存在を次々と失脚させていきます。新政府に参加した蘇我倉山田石川麻呂を自殺に追い込んだほか、孝徳天皇と対立したことで難波長柄豊碕宮から飛鳥に引き上げていき、結果的に孝徳天皇はそのまま亡くなってしまいました。さらに、孝徳天皇の皇子である有間皇子を処刑してしまいました。

 孝徳天皇の死後、再度天皇になったのは中大兄皇子の母親です。さあ、誰でしょうか? かつての皇極天皇が、斉明天皇として重祚したんですね。

白村江の戦い

 660年、朝鮮半島で百済が新羅に滅ぼされました。そうすると、百済の鬼室福神が日本に対して救援を要請しました。古来から関係の深かった百済に対して、斉明天皇と中大兄皇子は救援を送ることを決めます。ところが九州に出陣中に斉明天皇が崩御してしまいます。そこで中大兄皇子は称制という形を取り、天皇に即位せずに皇太子のまま天皇の職務を取りました。

 663年に白村江の戦いが勃発しました。この戦いで、唐・新羅の連合軍に大敗しました。それはそうだよね、当時の中国と言ったら東アジアのトップクラスですよ。敵うわけがない。日本は古来から朝鮮半島への進出を狙っていましたが、この戦いの以後は対外遠征はしばらく行われません。次は多分、藤原仲麻呂の新羅征討計画かな? これは実現してないけどね…

 戦いで大敗した結果、中大兄皇子は防衛体制の整備を進めます。対馬・壱岐・筑紫に防人を設置しました。さらに大宰府の北に水城を築きました。これでも物足りず、都を内陸の近江大津宮に遷都します。そして、大野城・基肄城・高安城・八島城・金田城を築き、攻撃を受ける場合に備えました。しかし実際には、唐・新羅の軍が日本を攻め込むことはありませんでした。

天皇時代

 近江大津宮に遷都した後、668年に中大兄皇子は天智天皇として即位しました。この年には近江令を制定し、中央集権国家への準備を着々と進めていきます。

 ところが669年、乙巳の変以来活動を共にしてきた中臣鎌足が死去します。その際、中臣鎌足に対して大織冠と藤原姓を与えました。この藤原氏が、奈良・平安時代に権力を握っていくわけですね。

 670年になると、日本初の戸籍である庚午年籍を作成しました。これは永久保存とされましたが、現存はしていません。こうして中央集権国家の体制を続々と整備していきました。しかし一方で、天皇との結びつきが強い豪族の権力は維持されていたのも現実でした。

 672年、天智天皇は死去してしまいました。その際、子の大友皇子に皇位を継がせようとしますが、実際は…

 この続きはまた次回!

まとめ

 前回の『聖徳太子編』では、天皇中心の中央集権国家を目指したことが分かったわけですが、この時代でもその動きが引き続き見られます。『倭王武編』の時代など、朝鮮半島進出を狙っていましたが、白村江の戦いで断念ですね。朝鮮侵略を次に実行するのは豊臣秀吉です。その次は、明治時代ですね。

 中央集権体制については、着々と整備していますがまだ豪族勢力の強さもあるわけです。この状況が一発で変わった内戦がまもなく始まりますね… では、また次回!

 

 

コメント

  1. ひがしくにのみやなるひこおう says:

    『臣連伴造国造百八十部幷公民等本記』が抜けてますけど大丈夫ですか?

    • History-teller says:

      あれについては焼失したのかなど詳細が分かっていない部分があるのと、受験範囲には問うほどの歴史書ではないため、今回は割愛しました。ちなみに関係があるとしたら『聖徳太子編』であり、『中大兄皇子編』ではあまり登場しないと思いますが…

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