〈世界史〉地域別解説 イベリア半島の歴史

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 こんにちは、今回はイベリア半島の歴史について解説していきます。現在はスペイン・ポルトガルなどがありますが、昔から複雑な歴史をたどっています。じっくり整理していきましょう。

カルタゴ

 スタートはカルタゴで覚えてください。カルタゴは、フェニキア人の勢力になります。元々は現在のチュニジアにあった小さな都市だったのが、シチリアやイベリア半島の方まで進出し、一時期は地中海の覇権を握りました。

 ところがその後に勢力を伸ばしてきたローマとガチンコバトルが始まります。それがポエニ戦争ですね。紀元前264年〜紀元前146年にローマvs.カルタゴで展開されました。これについての詳細は、以下の記事をご覧ください。

ローマ

 カルタゴの後にイベリア半島で勢力を握ったのはローマです。ローマ帝国になっても支配を続けました。

 ローマ帝国分裂後は、西ローマ帝国の勢力範囲となりました。

西ゴート王国

 418年には、ゲルマン人勢力が取ってかわりました。具体的には、西ゴート王国ですね。西ゴート王国はフン人に圧迫されて移動を開始した後、一時的にイタリア半島にいましたが、その後イベリア半島に移動しました。元々は現在のポルトガルにスエヴィ王国という小さな国もありましたが、こちらも西ゴート王国に統合されていきます。

 ここまでヨーロッパ系の民族が支配を続けてきたわけですね。ところが、ここで新たな勢力が入ってきます。それはもちろん、イスラームですね。

ウマイヤ朝

 イスラーム勢力の第一弾はウマイヤ朝になります。711年に西ゴート王国を滅ぼして、イベリア半島をおさえました。そのまま調子に乗ってフランスまで攻めに行き、732年にはトゥール・ポワティエ間の戦いが起こりました。ただ、ここではフランク王国カール=マルテルにボロ負けします。結果としてイスラーム世界はピレネー山脈の北には及ばなかったわけですね。

後ウマイヤ朝

 ウマイヤ朝亡き後に、アッバース朝はイベリア半島まで進出しませんでした。代わりに756年には後ウマイヤ朝が成立しました。アブド=アッラフマーン1世が建国し、アブド=アッラフマーン3世の時代が全盛期です。後ウマイヤ朝の君主は、カリフを名乗っていたのでアッバース朝とは対立していましたね。

ムラービト朝・ムワッヒド朝

 次に成立したのは、ムラービト朝です。あくまでモロッコに成立したアフリカの王朝ですがイベリア半島の支配もします。

 ムラービト朝の後継王朝である、ムワッヒド朝もイベリア半島の支配をします。

 ただしこの頃になると、ヨーロッパ人の王国も少しずつ出てきます。ポルトガル王国は細々と成立しますし、アラゴン王国カスティリャ王国も徐々に出てきます。

ナスル朝

 次の王朝はナスル朝になります。首都はグラナダですね。アルハンブラ宮殿などが有名でしょうか。

 一方その頃、ヨーロッパ系のカスティリャ王国・アラゴン王国が一気に勢力を拡大してきました。イベリア半島をヨーロッパ世界に戻す動きだ高まったのです。これをレコンキスタ(国土回復運動)と言います。そして1492年にグラナダが陥落し、ナスル朝は滅亡します。これ以降は再びヨーロッパ世界になります。

スペイン・ポルトガル

 1479年にカスティリャ王国とアラゴン王国が合併してスペイン王国が成立し、元から栄えていたポルトガルとともにイベリア半島を支配しました。そして1500年代は、スペイン・ポルトガルが世界の覇権を握るようになったのです。世界中に植民地を持ちましたしね。

 1600年代以降、イギリス・フランスが覇権を握るようになりましたが、それでもヨーロッパの主要国として歴史の至る所に登場しました。そして現在までイベリア半島はスペインとポルトガルが支配しています。

まとめ

 今回はスペイン・ポルトガルに至るまでのイベリア半島の歴史について解説しました。並べ替え問題に対応できるように勉強しましょう!

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