〈日本史〉歴史人物解説 特別編 岸田文雄

公民

 こんにちは。今回は歴史人物解説の特別編です。9/29に自民党新総裁に任命された岸田文雄について徹底解説していきたいと思います。

出自・幼少時代

 突然ですが、岸田文雄の出身高校はどこだか知っていますか? 東京大学合格者数No.1でも知られる開成高校です。てことはどこ大学目指すんでしょう? もちろん東京大学です。しかし受験の方は失敗してしまい、2浪した挙句不合格に終わってしまいます。結局、早稲田大学法学部に入学し、4年後にそこを卒業しました。その後は政治家になったのではなく、銀行に勤めるようになります。5年間勤めたのち、父の岸田文武の秘書となりました。岸田文武はかつての衆議院議員です。

政界入り

 1993年、まだ衆議院議員選挙に広島から自由民主党公認で出馬して、30代の若さで初当選します。このタイミングで、父と同じ派閥である宏池会に入ります。宏池会という派閥は、池田勇人を初代会長とする自民党最古参派閥です。宏池会という派閥は少し面白いんですがね、結構損な役回りが多い派閥なんですよ(笑)。政策自体は非常に良いんですよ、だって池田勇人とか所得倍増政策やってるわけでしょ。一方、政争には非常に弱いんですね。例えば自民党の下野に立ち会った宮沢喜一や野党期間の時に総裁に就任し首相にならなかった河野洋平(河野太郎の父)なども宏池会の出身になります。

 さあ話を戻しまして、岸田文雄さんは小選挙区比例代表並立制が導入されて以降、広島1区で連続8選しています。もうね、広島で大人気なんですよね。

加藤の乱

 ところがですね、自民党内ではとある事件が起こります。それが2000年11月の「加藤の乱」です。当時の森喜朗内閣を打倒しようと、自民党所属の加藤紘一山﨑拓が反乱を起こします。これ詳しい人はわかると思いますが、簡単に言えば自民党の”内輪揉め”です。加藤紘一らは、野党が出した森喜朗への不信任決議案に賛成しようとしたんです。森喜朗ってね、当時からあんまり人気ないのよ。なんでかって? まず森喜朗の選出自体を自民党の有力者5名だけで行ってしまったので、就任時点から悪いイメージがあったんですね。それに加えて「女性のいる会議は時間がかかる」とか、すぐ問題発言しちゃうんですよ。まあ総理としての資質に欠落があるというのが世間からの指摘ですね。

 関係ない話が長くなりましたが、ここで反乱を起こした加藤紘一こそが岸田文雄属する宏池会の会長だったのです。そして岸田文雄は加藤紘一についていきました。ちなみにこのタイミングで菅義偉も加藤さんに同調しています。そのため、不信任案の議決を加藤紘一・山﨑拓をはじめ菅義偉・岸田文雄・谷垣禎一ら後に活躍する人たちまでもが欠席しました。

 ところがこの「加藤の乱」の結果は失敗に終わりました。加藤側に対して猛烈な切り崩し工作が行われたためです。切り崩しを行なったのは、かの小泉純一郎ですね。結果として、1年後に森喜朗が退陣したのちに小泉内閣が成立し、長期政権を築いたのでした。

 この乱の影響として、加藤派(宏池会)の人数は激減します。加藤紘一はやむなく、派閥会長辞任・自民党離党・議員辞職に追い込まれてしまいました。じゃあ皆さん、岸田文雄はこの時どうなったと思いますか? 実は切り崩しの過程で、宏池会の中では加藤派と堀内派に分かれたんですよ。要は加藤さんに賛同するか反対するかの話ですね。岸田さんは最後まで加藤さんについて行ったのですが、堀内派に引き戻されます。ここで引き戻したのは、岸田文雄の親戚でもある宮沢喜一元首相です。彼が「戻ってこい」と言ってくれたのでことなきを得ます。ちなみに菅義偉も同じく堀内派に合流しています。また谷垣禎一については加藤派に属したままだったのため一時期不遇でしたが、小泉政権において重用されたため、なんとか生き延びています。

岸田文雄の成長

 岸田さん、2001年には小泉内閣で文部科学副大臣に任命されます。そして2007年には、第一次安倍内閣にて内閣府特命担当大臣に任命され、初入閣を果たします。このころには、すでにですかね、安倍晋三さんと非常に仲良くなっていました

 その後、2009年の衆議院選挙の際、自民党は現職閣僚であっても落選するなどの逆風が吹いていましたが、広島の磐石な支持を得て見事当選しました。そして、2011年には自民党国会対策委員長に就任しました。自民党が下野している間にも徐々に力をつけていくわけです。ちなみにこの時の総裁である谷垣禎一も宏池会のメンバーです。

 そして自民党が復権する2ヶ月前、政界を引退する古賀誠に代わって宏池会の会長に就任しました。これで岸田派の成立です。

安倍内閣での役割

 2012年の総選挙後に発足した第二次安倍内閣にて外務大臣として入閣し、以後2017年までつとめあげました。またその最中、稲田朋美が辞任したことで防衛大臣も兼務しました。外務大臣としては、広島のオバマ大統領訪問などを実現しました。

 2017年からは自民党の政務調査会長に就任しました。完全に安倍さんからの禅譲狙いです。そして、2020年9月、ついにその時が来たと思われました。8月末に安倍首相が病気を理由に退陣表明したことで、さあ禅譲の時がきたと思われました。ところが石破茂さんに当選してほしくない安倍さんや二階さんが菅義偉氏を支持することになったので、岸田さんは二位に終わってしまいました。これで政務調査会長を退任し、久しぶりの無役になります。

ついに…

 無念の敗北から一年。再びチャンスがやってきました。それが9/29に実施された自民党総裁選ですね。河野太郎との決選投票を制した岸田文雄氏が第27代自民党総裁に就任しました。そして、まもなく第100代内閣総理大臣に指名される見込みです。今後の政治に期待していきたいですね!

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