〈世界史〉地域別解説 古代イラン史 〜パルティアとササン朝〜

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 今回は、古代イランの歴史についてまとめていきます。

メディア王国

 イラン初の国家はメディアになります。新バビロニアと共にアッシリアを滅ぼしたところですね。都はエクバタナで、イラン人が建国しました。

アケメネス朝ペルシア

 ところがメディア王国の中でアケメネス朝が台頭してきます。ここで出てきたのがキュロス2世ですね。B.C.550年にメディアを滅ぼしてしまい、その後リディアや新バビロニアも征服してしまいました。さらに続くカンビュセス2世はエジプトを征服し、オリエントの再統一に漕ぎ着けました。

 都はスサでしたが、後のダレイオス1世ペルセポリスに遷都します。

ダレイオス1世

 アケメネス朝の全盛期はダレイオス1世になります。彼は東はインダス川、西はエーゲ海まで支配しました。そして各地にはサトラップと呼ばれた知事を派遣し、それを王の目・王の耳と呼ばれた人が監督しました。アケメネス朝はアッシリアと違って、独自法や独自宗教を容認した緩やかな支配を行なっていきます。

 またかつての首都で経済の中心であるスサとリディアの首都であったサルデスを結ぶ王の道も整備しました。さらに、アラム人やフェニキア人の交易活動を保護することで利益をあげていました。

 調子に乗ったダレイオス1世は、ギリシアを手中に収めようとバルカン半島に攻め込みます。しかし2度大きな戦いをした結果、敗北しました。これがペルシア戦争(第1回・第2回)ですね。

クセルクセス1世

 続くクセルクセス1世も再びギリシアに攻め込みました。第3回ペルシア戦争の開幕です。スパルタ軍を全滅させるなど好調な動きでしたが、最終的にはアテネなどにボロボロにやられています。

ダレイオス3世

 アケメネス朝最後の王はダレイオス3世です。最後ということはここで滅亡するわけですが、誰が滅ぼしたか、もちろんわかりますよね。アレクサンドロス大王です。

アレクサンドロス大帝国

 アレクサンドロス大王はB.C.334年に遠征に出発し、イッソスの戦いアルベラの戦いを経て、B.C.330年にアケメネス朝ペルシアを滅ぼしました。アレクサンドロス大王はこれで、エジプトやバルカン半島の方から、インダス川流域や中央アジアまで支配したことになります。

 こんな支配は長続きしませんよね。アレクサンドロス大王の死後、誰を後継者にするか争い(ディアドゴイ戦争)、結果としては帝国が分裂しました。イランあたりについてはセレウコス朝シリアが支配します。

セレウコス朝シリア

 アレクサンドロス大帝国が分裂した後に、最も広大な領域を支配したのがセレウコス朝シリアです。都は初めセレウキアですがのちにアンティオキアになります。まあ、シリアから中央アジアまで支配することになっていたわけですが、そんな広い領域の支配がそんなにうまくいくはずもないですよね。

 よって紀元前3世紀には、イラン系のパルティアとギリシア系のバクトリアが独立してしまいました。以後イランを支配するのはパルティアになります。

パルティア

アルサケス

 パルティアを建国したのはアルサケスです。よってアルサケス朝とも呼ばれており、中国では安息と呼ばれています。遊牧イラン人を率いて建国しました。都はクテシフォンです。シルクロードを支配したことで、そこから入る通行料が莫大な富をもたらしました

ミトラダテス1世

 パルティアの全盛期を築いたのはミトラダテス1世です。彼はセレウコス朝の影響を排除しました。

その後

 その後、ローマに攻め込まれましたがカルラエの戦いではクラッスス軍を撃退しています。またローマ帝国のトラヤヌスがクテシフォンを攻略しましたが、そのまま放棄されたことで打撃はあまりありませんでした。最終的にパルティアは226年に滅亡しました。

ササン朝ペルシア

アルダシール1世

 パルティアにとって変わった王朝がササン朝です。建国者はアルダシール1世になります。彼は農耕イラン人を率いて建国し、アケメネス朝の後継者を名乗りますが、都は引き続きクテシフォンにするなどパルティア制度も踏襲します。またゾロアスター教を国教としました。

シャープール1世

 第2代のシャープール1世の時代にはエデッサの戦いが起こりました。ここでローマ皇帝のウァレリアヌスを捕虜としました。

 また彼の時代には、マニ教が成立したと言われています。シャープール1世は初めは保護していましたが、のちには弾圧します。

ホスロー1世

 ホスロー1世がササン朝の全盛期を築きました。ビザンツ皇帝のユスティニアヌスとの戦いを互角以上に渡り合いました。さらに突厥と結んで、宿敵のエフタルを滅ぼします。

 彼の時代にはゾロアスター教の教典である『アヴェスター』を文字化したと言われています。

その後

 642年に起こったニハーヴァンドの戦いで、イスラーム軍に完敗しました。そして、651年にササン朝は滅亡し、イスラーム世界に組み込まれるのでした

まとめ

 今回は古代イランの流れについてまとめました。こうやって整理すると一気にわかりやすくなると思います。パルティアやササン朝の重要な皇帝も抜けないようにがんばりましょう。

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