16世紀、それはスペインとポルトガルが栄華を極めた時代でした。世界はスペイン領とポルトガル領で埋め尽くされたようでした。今回はその歴史について解説していきます。
大航海時代の始まり
1480〜1490年代にかけて、スペインとポルトガルは世界に進出し始めました。1488年、ポルトガルのバルトロメウ=ディアスは喜望峰に到達しました。一方で1492年にはコロンブスがサンサルバドル島に到達しました。
このように、スペインは「新大陸」の側、ポルトガルはアフリカ側からそれぞれインドを目指しました。
教皇子午線
1493年、そうした状況で教皇アレクサンデル6世は教皇子午線というものを設定しました。世界をポルトガルの勢力圏とスペインの勢力圏に分けようとしました。境目となったのは大西洋です。大西洋より西側、すなわり新大陸側はスペインの勢力圏、アフリカ側はポルトガルの勢力圏とされました。
ところがこれにポルトガルは抗議しました。だって、せっかく見つけた新大陸を全てスペインに持って行かれてしまうんですから。怒りますよね!
トルデシリャス条約
そこで1494年、トルデシリャス条約が締結されました。ここで、ブラジルのみをポルトガル勢力圏、それより西側の新大陸はスペインの勢力圏とされ、かろうじてブラジルのみポルトガルに渡りました。
その結果、現在でもブラジルはポルトガル語、それ以外のラテンアメリカはスペイン語を用いますよね! 世界でポルトガル語を話す主要国は、ポルトガルとブラジルくらいですよ。
サラゴサ条約
ヨーロッパの近辺において、スペインとポルトガルの勢力圏が分けられていました。ところが、1522年にはマゼランが世界周航に成功し、地球球体説が証明されました。
地球の反対側があることが分かってしまったら、そちら側にも境界線を引かなければなりませんね。そこで、1529年にサラゴサ条約が締結されました。ざっくり日本やオーストラリアを真っ二つにする感じで分けられました。
確かに中国にはポルトガルだけでしたが、日本にはスペイン・ポルトガルの双方が来てましたよね。まあこれはたまたまの面もあるんでしょうけどね!
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