〈日本史〉歴史人物解説 卑弥呼

日本史

さて、日本史の定期企画のお時間です。開始が遅くなって申し訳ございません。ここから、週一で配信していきます。今回は記念すべき第一弾! ということで、今回は卑弥呼についてお話ししましょう。

邪馬台国の女王卑弥呼

卑弥呼とは皆さんご存じの通り、邪馬台国の女王ですね。日本史で最も早く登場する女性ですかね? ちなみに男性で最も早いのは奴国王の帥升ですかね~ 教科書的には、岩宿遺跡を発見した相沢忠洋が最初に出てくるか(笑)

邪馬台国は3世紀に29の小国を従えていたという記録が『魏志倭人伝』に残されています。『魏志倭人伝』自体は西晋の陳寿が書いたのですが、これすごい細かいんですよ。弥生時代の日本がわかる中国の史料といえば『漢書地理志』『後漢書東夷伝』『魏志倭人伝』と3種類あります(正確にはほかにもあります)が、ほかの二つに比べて、『魏志倭人伝』の方は圧倒的に詳しく書いてあります。もしかしたら著者の陳寿は日本に実際に来た、あるいは日本に来た人から話を聞いたのかもしれませんね。

さて、もともとこの国は、争いが絶えなかったそうです。そこで、女王卑弥呼を立てたのですね。卑弥呼は鬼道で政治を行ったと記述されています。まあ、鬼道っていうのは呪術やまじないですね。

中国との関係

239年(景初三年)に、中国の魏に使いを送ります。誰を送ったでしょう? 難升米(なしめ)です。まあ、史料によると「大夫」だったらしいです。

この時代の中国では、魏・呉・蜀が並立する三国時代でしたが、漢に近しい地位を継いでいるのは、魏でした。あとは、日本は楽浪郡・帯方郡から使いを送っていたので、場所的にも魏に行っちゃうんでしょうかね~。一応言っておきますが、帯方郡っていうのは、楽浪郡の一部から独立(ていうか分割)してできた郡です。前漢の武帝が設置した当初は、帯方郡なんてございません。

話を戻しまして、魏に使いを送った卑弥呼は、「親魏倭王」の称号と銅鏡100枚をもらってきます。「親魏倭王」の称号については、いまだ日本で発見されていません。だからこそ、邪馬台国論争は続いてるんでしょうね。銅鏡については、三角縁神獣鏡だと言われていますが、これにも実際疑問が残ります。なんせ、中国からは1枚も発見されてないらしいんですって。

あと豆知識を1つ。邪馬台国は、南方の狗奴国と対立していたとされています。狗奴国の王は、卑弥弓呼です。なんか似てるけど、間違えないでね。

家族関係と死後

それと、卑弥呼は独身であるということも覚えておいてください。『魏志倭人伝』に登場する時点の卑弥呼では、かなり高齢のようです。てっきり20~30代のイメージをしちゃいますが、結構オバちゃんなんだって。ちなみに夫はいませんが、弟はいたようで、その弟が政治を補佐していたようです。

彼女の死後、宗女壱与が争いの末に女王にたてられたと記述されています。「宗女」とは何でしょうか? 宗女と聞くと、「娘かな?」って思ってしまいますが、実際には「一族の女」という解釈が正しいようです。だって卑弥呼は独身だもん。

壱与は266年に、中国に使いを送ったと『晋書』に記述があります。それ以降、日本の記述については、どの国の歴史書にも登場しません。よってこれ以降を「空白の4世紀」という言い方をされます。空白が終わった頃には、日本はすでに統一されているんですね。つまり、この空白中に日本で誰かが統一をしたことになります。

邪馬台国論争

国内を統一したのが、邪馬台国であるとする説と全く別の政権であるとする説があります。これが、邪馬台国論争ですね。

邪馬台国は、九州にあったのか、近畿にあったのかということです。実際には、それ以外にも様々な説が浮上してますが、とりあえずこの2説を扱ってみましょう。

近畿説

 まず、前提条件として邪馬台国が九州を治めていたという事実は確定とされています。根拠の1つが奴国です。九州に存在した奴国を支配していたことが史書の記述から明らかです。邪馬台国がもし近畿にあったとしたら、九州~近畿までを支配下に入れていたことになります。その場合は、まさに日本を統一しかけてるってことですね。そうなった場合、現在の天皇の祖先は卑弥呼である可能性まで浮上してきます(正確には、卑弥呼は独身であることから、明確な子孫ではないですね)。

 ちなみに近畿説が正しいとすると、卑弥呼の墓は箸墓古墳であることが有力視されています。三角縁神獣鏡がいっぱい見つかったそうです。

九州説

 九州に邪馬台国があったとすれば、邪馬台国は九州しか治めていない(それでもすごいけど)わけで、その辺の国の”One of them”になってしまいます。まあ、簡単に言えば、ただの何も変哲のない1国ですね。

まとめ

 ということで、今回は卑弥呼について見てきました。まあ、気ままに週1でやっていく企画なので、気楽に見てください。高校日本史を違った角度から見ていくものになればいいかと思います。

 次回は、倭王武について解説していこうと思います。

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