今回は、第一次世界大戦の直前のバルカン半島について見ていきます。「ヨーロッパの火薬庫」はどのように”火薬を詰めた”のか、よく覚えておきましょう。
バルカン半島内の独立国
バルカン半島で初めて独立した国はギリシアです。1821年から始まったギリシア独立戦争に見事勝利して、1829年にオスマン帝国から独立しました。ただしこれ以降はロシアの南下政策の口実として幾度となく使われました。
1877年には露土戦争が勃発し、ロシアがオスマン帝国に勝利しました。すると、オスマン帝国からルーマニア・セルビア・モンテネグロが一気に独立し、1878年のベルリン会議で国際的に承認されました。ブルガリアについても、ベルリン会議にてオスマン帝国化での自治国下が認められていました。また、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナの管理権(行政権)を獲得しました。
バルカン半島内部での対立
バルカン半島で真っ先に対立したのは、セルビアとオーストリアでした。原因としては、どちらもボスニア・ヘルツェゴヴィナが欲しかったんですね。
そのような中で事件が起こりました。どこで起こったか。オスマン帝国です。1908年に、立憲制を目指した青年トルコ革命が起こったのです。これに対してオスマン帝国の皇帝はもちろん対応するのですが、これに乗じてその周辺の国が勝手に動き出しました。
まず、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合します。セルビアからしたら激怒案件ですよね。また、ブルガリアが同年に独立しました。これで、バルカン半島にはギリシア・セルビア・ルーマニア・モンテネグロ・ブルガリアが存在していることになります。この国々は、ロシアを後ろ盾にパン=スラヴ主義を唱えている国ですね。皆さん、ついてこれてますか?
バルカン戦争
このような状況下で、ロシアはバルカン半島の小国に対して同盟を結ぶように働きかけました。これがバルカン同盟です。1912年に同盟が結ばれ、ギリシア・セルビア・モンテネグロ・ブルガリアが参加しました。注意して欲しいですが、ルーマニアは参加していません。なぜこのような同盟を結んだか、わかりますか? パン=スラヴ主義をとっているバルカン同盟とロシアにとって、敵はオスマン帝国とオーストリア、ドイツになります。こいつらと対抗するために同盟を結びました。
そして、イタリア=トルコ戦争が起こると、これに乗じてバルカン同盟がトルコに対して戦争を起こしました。目的はもちろん、オスマン帝国のバルカン半島内部における領土です。結果はバルカン同盟の勝利。オスマン帝国はイスタンブルを除くバルカン半島の領土を全て失いました。これが1912年の第一次バルカン戦争になります。
ところが、これでは収まらず、第二次バルカン戦争が起こります。これは、バルカン同盟内の内紛が原因です。ブルガリアが領土を取りすぎたことで、他の同盟3国が文句を言い出し、戦争になりました。よって対立軸は、ブルガリアvsギリシア・セルビア・モンテネグロになります。だけどこの構図見たら、明らかにブルガリア負けるよね。ブルガリアが負ければ、そこの領土をとれるかもって2国が参戦してきます。それがオスマン帝国とルーマニアです。結果、対立構図はこうなりました。
〜第二次バルカン戦争〜
ギリシア
セルビア
モンテネグロ vs ブルガリア
オスマン帝国
ルーマニア
もちろんこの結果、ブルガリアは敗北します。そして領土は縮小されました。
二度のバルカン戦争の結果、一番被害を受けたのはオスマン帝国とブルガリアになります。この2国は、ドイツやオーストリアにこの後接近していくのでした。
そしてこの近辺の対立構図はこうなりました。
ドイツ ロシア
オーストリア vs セルビア
オスマン帝国 モンテネグロ
ブルガリア ギリシア
このオーストリアとセルビアの対立があった中で、サライェヴォ事件が起こり、第一次世界大戦に発展したことは言うまでもありませんね。
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