〈世界史〉ヨーロッパ各国の王朝の変遷まとめ

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 こんにちは、今回はヨーロッパ主要国であるイギリス・フランス・ドイツの王朝の変遷をまとめました。これを覚えていないようでは、ヨーロッパ問題は全く解けません。必ず覚えましょう。

イギリス

ローマ帝国アングロ=サクソン七王国(ヘプターキー)デーン朝ノルマン朝プランタジネット朝ランカスター朝ヨーク朝テューダー朝ステュアート朝ハノーヴァー朝ウィンザー朝

 まあとにかく量が多い(笑)。一応解説していきます。もともとはローマ帝国が支配していましたよね。イギリスの主な先住民はケルト人です。

 そこに侵入してきたのがゲルマン系のアングロ=サクソン人ですね。でも統一はしばらくされず、久部位に統一したのがエグバートという人物ですね。しかしこの頃から徐々にデーン人の侵入が進んでおり1016年にはデーン朝が成立しました。

 しかし1056年にはノルマン人に征服され、ノルマン朝になります。さらにその後プランタジネット朝に引き継がれていきます。ところがプランタジネット朝の末期に事件が起こります。国王を引き継ぐのがランカスター家ヨーク家か。これをバラ戦争と言います。争いの上、国王の位を担うことになったのがテューダー家です。これをテューダー朝と言います。

 ところがエリザベス1世に子供がいなかったことで、テューダー家が断絶しました。代わって成立したのがステュアート朝です。この時代にピューリタン革命と名誉革命が起こります。そして、最終的にはドイツ系のハノーヴァー選帝侯がイギリス国王に即位して落ち着くわけです。以降の王朝をハノーヴァー朝と言います。これが現在まで続いている王朝になるんです。

 あれ? でも現在の王朝はウィンザー朝ですよね。これなんで? 答えは簡単、イギリスに「ドイツきらーい」っていう時代があったからです。いつでしょう。もちろん第一次世界大戦の時です。ここでドイツ風のハノーヴァーから、イギリス風のウィンザーに名前を変えました。そして現在までこの家系がイギリス国王をつとめています。

フランス

ローマ帝国メロヴィング朝フランク王国カロリング朝フランク王国西フランク王国カペー朝ヴァロワ朝ブルボン朝第一共和政第一帝政ブルボン復古王政七月王政第二共和政第二帝政第三共和政ヴィシー政府第四共和政第五共和政

 これまた長いな…。頑張りましょう。ローマ帝国の支配が終わった後、まあゲルマン人が暴れまくるわけですが、一応フランク王国の一部として落ち着きました。フランク王国の分裂後は西フランク王国となり、これがフランスの原型になったと言われています。

 カロリング朝の滅亡後は、カペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝と続きます。このあたりは、順番を絶対に押さえてください。それでは問題のブルボン朝末期から簡単に見ていきましょうか。

 1789年にフランス革命が起こり、1792年に王権が停止され、第一共和政が実現しました。そして、ここで力を持ったナポレオンは1804年に皇帝となり、第一帝政が始まりました。でもナポレオンはセントヘレナ島に流されて帝政が終わってしまいます。そこで登場したのが、再びブルボン家です。このときの政体をブルボン復古王政と言います。

 しかし、やっぱり王政への不満が出たんだ。そこで七月革命が起きました。しかし、ここでもブルボン家ではない王が生まれました。これを七月王政と言います。七月王政は金持ちを重視した政策をとったため、貧乏人(要は労働者)からの不満が大きかったんですね。そこで二月革命が起こり、社会主義者を含んだ第二共和政が始まりました。ようやく落ち着いたかと思いきや、この政府が結構トンチンカンな政策をとってしまうんですよ。もう民衆からすれば「王政もダメ」「共和政もだめ」、そうなれば「必ずしも共和制にこだわらなくても良いのでは」という声が出てきます。

 そこで登場したのがおなじみのナポレオン3世です。彼の時代を第二帝政と言います。ナポレオン3世は対外遠征を盛んに行いますが、間違えてドイツを攻めちゃって負けちゃいます。これで帝政終了、残念でしたー。ということで、次に出てきたのが第三共和政です。ここでは史上初の労働者による自治政府が結成されます。これでようやく落ち着きました。しばらく平和ですよ。

 ところが1940年、フランスはドイツに戦争で敗れて降伏してしまいます。これで対独融和政権が成立しました。これをヴィシー政府と言います。中心はペタン。しかしドイツが降伏し、第二次世界大戦が終結すると再び共和政に戻ります。

 これを第四共和政と言います。この後、ド=ゴールが大統領になるタイミングで憲法が改正され、第五共和政が成立し、現在に至ります。さあ、フランスは政体の変化がとにかくややこしいですね。

ドイツ

ローマ帝国→フランク王国→東フランク王国ザクセン朝(以降神聖ローマ帝国)→ザリエル朝→シュタウフェン朝大空位時代→ルクセンブルク朝→ハプスブルク朝ホーエンツォレルン朝ドイツ帝国ヴァイマル共和国ナチス=ドイツ東西ドイツドイツ連邦共和国

 ドイツの一部はローマ帝国の領土でした。逆にローマ帝国領土でないところには、ゲルマン人がいました。その後、一部がフランク王国の支配を受けました。フランク王国分裂後の東フランク王国が事実上ドイツの原型となります。

 カロリング朝滅亡後は、ザクセン朝が引き継ぎます。ザクセン朝の2代目であるオットー1世が神聖ローマ皇帝に即位して、神聖ローマ帝国が成立しました。以後、ザリエル朝やシュタウフェン朝が皇帝位を引き継ぎますが、歴代皇帝はイタリア遠征を重視したため、自国の政治は後回しにしがちでした。そのため、ドイツの神聖ローマ帝国は緩やかな連合にとどまってしまいます。

 1256年からは大空位時代が始まり、一時的に皇帝が不在でした。その後、ハプスブルク家輩出の皇帝などが出た後、しばらくはルクセンブルク朝が皇帝を担いました。その後にしばらく皇帝位に居続けるのが、かの有名なハプスブルク家ですね! ハプスブルク朝の時代がずーっと続きます。

 1648年のウェストファリア条約で有名無実化した後、1806年に神聖ローマ帝国は滅亡しました。誰が滅ぼしたかって? もちろんナポレオンですね。

 この後のドイツはプロイセンが中心となって統一していきます。ホーエンツォレルン朝ですね。そして1871年についにドイツ帝国が成立しました。そして、強い皇帝の力を利用したビスマルクを中心として、ドイツはどんどん発展していきました。

 ところが第一次世界大戦でドイツが敗れたことで状況は一変します。大戦終結の直前にドイツ革命が起こり、ドイツ帝国は滅亡してしまいます。そして新たに成立した政治体制をヴァイマル共和政と言います。これは当時最も進んだ民主国家として知っておいてください。

 そんなドイツですが、世界恐慌によって情勢が悪くなると力を持った男がいます。ヒトラーですね。ヒトラーが政権を握り、ナチス=ドイツが成立しました。ところが、ナチスは第二次世界大戦に敗れたことで滅亡、ドイツは東西に分裂しました。

 東ドイツはソ連側、西ドイツはアメリカ側について冷戦を生き延びました。第二次世界大戦後、しばらくの間ドイツが一つになることはありませんでした。ところが冷戦が終結すると、1990年についに統一されました。これによって、現在のドイツ連邦共和国が誕生したわけです。

まとめ

 今回は、イギリス・フランス・ドイツの政治体制の変遷を見てきました。この流れは全員絶対暗記です。ひたすら唱えて、ひたすら覚えましょう!

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