2024衆院選の政党解説シリーズです。今回は日本維新の会を解説していきます。
日本維新の会とは
日本維新の会は、2012年に初めて成立した国政政党です。大阪から誕生したという特徴があります。創設者は橋下徹、現在の代表は馬場伸幸です。
単純に日本維新の会と言っても、実は過去に2度分裂を引き起こしており、歴史はかなり複雑です。
旧・日本維新の会
民主党政権の末期に成立、第3極へ
時は2012年。民主党政権の末期です。大阪維新の会を率いた橋下徹が、国政政党を目指し、日本維新の会を設立しました。当時の橋下徹は大阪市長、松井一郎が大阪府知事でした。この2枚看板で、日本維新の会が成立したのです。
2012年9月の結党時には、自民党・民主党からの合流もあり、所属国会議員は13名になっていました。そして、代表には直近まで東京都知事を務めた石原慎太郎を招きました。これで、石原慎太郎率いる太陽の党が合流します。これで橋下徹は共同代表に就任します。
2012年12月の衆議院議員総選挙では、54議席を獲得し、もう少しで民主党に迫るところまで来ました。以降、自民党政権が始まりますが、民主党とも違った形で第三極として活動していきます。
みんなの党との合流
2014年頃から、みんなの党との合流構想が浮上してきました。みんなの党の中では、合流に肯定的な結いの党、否定的なみんなの党に分裂します。結いの党の代表は江田憲司です。
日本維新の会の中でも、合流に賛成と反対の双方がいました。賛成したのは橋下徹、反対したのは石原慎太郎です。最終的には日本維新の会も分党します。石原慎太郎率いる反対派は、次世代の党を結成しました。一方の橋下徹率いる賛成派は、結いの党と合流して、維新の党を設立しました。
維新の党
2014衆議院選挙
2014年の衆議院議員選挙では、合流をめぐるゴタゴタもあったことから党勢の拡大をすることはできませんでした。その後、橋下徹共同代表と松井一郎幹事長は役職を降り、次の代表には江田憲司が、幹事長には松野頼久が就任しました。
最初の大阪都構想
日本維新の会の看板政策は大阪都構想です。橋下徹はその実現に向けて、地方選挙にも力を入れました。2015年5月に、大阪都構想をめぐる住民投票が行われました。結果は否決されます。そこで、橋下徹は政界引退、江田憲司は代表辞任を決意しました。次の代表は松野頼久です。
この頃から野党再編をめぐって、橋下徹と松野頼久の対立が起こります。橋下徹は政策・イデオロギーの近さで連携を探ろうとしますが、松野頼久は民主党などとの連携を目指しました。ここからは、もはや誰もついていけないくらいの大分裂となってしまいます。
結論だけ言いましょう。橋下徹・松井一郎らは、2015年8月に「おおさか維新の会」を設立します。一方の、松野頼久や柿沢未途らは「維新の党」として、民主党との合流を模索していきました。そして、「維新の党」の方は、2016年3月に民主党との合流が実現し、民進党として新たな政党になりました。
おおさか維新の会
橋下徹の引退
橋下徹は、あくまで2015年12月に政界引退することを宣言していました。後任の代表には、松井一郎が就任します。
その後、2016年には名称を「日本維新の会」に変えます。かつて使っていた政党名に再び戻ったのでした。
日本維新の会
2017衆議院選挙
さて、時代は民進党にトラブルが起きていた頃です。前原誠司代表が小池百合子の希望の党に合流を画策したところ、枝野幸男らが立憲民主党を立ち上げるという、民主党系の分裂が起きていました。
日本維新の会は、希望の党との協力を試みますが、11議席にとどまってしまいます。はっきり言えば、大惨敗ですね。
2019参議院選挙
続く2019参議院選挙では、他の地域政党との連携を進めました。音喜多駿の「あたらしい党」、鈴木宗男の「新党大地」、河村たかしの「減税日本」などが代表的です。最終的に、音喜多駿と鈴木宗男は、日本維新の会所属の参議院議員となります。
2度目の大阪都構想
その後、時代はコロナ禍に入ります。大阪では吉村洋文府知事が連日対応したことで、大きな注目を浴びます。大阪では日本維新への支持がグングン上がって行きました。
そのような中で、日本維新の会は看板政策の大阪都構想に再挑戦しました。しかし住民投票は再度否決となりました。代表の松井一郎は、政界引退を表明します。(ただししばらくは代表を続けます)
2021衆議院選挙
時は2021年衆議院議員選挙。立憲民主党・国民民主党・日本共産党・社会民主党・れいわ新選組が選挙協力を行う中、独自の姿勢で勝負に挑んだ日本維新の会。維新旋風と言われるほどに、議席を一気に増やしました。大阪の小選挙区では全勝、比例代表でも大きく伸ばしました。
2022参議院選挙
2022年の参議院選挙でも維新旋風は続きます。比例代表では、野党第1党の立憲民主党を上回る票を獲得しました。ここで松井一郎が党の代表を辞任します。
2023統一地方選挙
次の代表は馬場信幸です。2023年の4月の統一地方選挙では、400人程度だった地方議員が700人以上にまで増やすことに成功しました。ここで、大阪府議会及び大阪市議会で単独過半数の議席確保に成功しました。これを機に、これまでの衆議院選挙における公明党との選挙協力を取りやめることにしました。これまでは大阪都構想への協力と引き換えに、公明党の大阪兵庫の6選挙区には維新の候補者を擁立していませんでした。
しかしこれ以降、維新の会からの地方議員の離党が相次ぎました。また、大阪万博の会場建設費の高騰の問題で、批判を浴びるようになってきました。
また、単独でロシアに渡航した鈴木宗男議員との間でトラブルになり、鈴木氏は日本維新の会を離党してしまいました。
2023補正予算案に賛成
日本維新の会は立憲民主党ら他の野党との差別化を図っていました。立憲民主党が国会の会期末に提出する内閣不信任決議案には、「風物詩」と批判して反対に回ることもありました。また、2023年度補正予算案に賛成しました。理由は補正予算案の中身に大阪万博の建設費が入っていたためとされています。
しかし、風向きは変わります。自民党の裏金事件です。これを機に出された立憲民主党による内閣不信任決議案には、国民民主党や日本維新の会も含めてほとんどの野党が賛成に回りました。裏金事件に対しては日本維新の会は対決姿勢を取ることにしたのです。
強まる逆風?
裏金事件をきっかけに政治資金規正法が改正されることになりましたが、その際に自民党は維新の会の意見の一部を飲む代わりに、政治資金規正法に賛成するように交渉しました。維新の会は、旧文通費(いわゆる国会議員が月100万円もらえる自由に使えるお金)の改革の引き換えと同時に賛成に回ることにしました。しかし、衆議院での可決後、旧文通費の改革に自民党が後ろ向きになったことから、参議院では反対に回りました。このゴタゴタは他党からも大きな非難を浴びました。
2024衆議院選挙に向けて
日本維新の会は2024衆議院議員選挙に向けては、「自公の過半数割れ」「立憲民主党を上回って野党第1党になる」という2つの目標を掲げました。この2つの目標を達成するのは当初からなかなか難しいとは言われていました。それでも参議院議員の一部を鞍替えさせるなどして、衆議院議員選挙に候補者を積極的に擁立しました。
さらに、国民民主党を抜けた、前原誠司率いる教育無償化を実現する会と合流しました。日本維新の会は、立憲民主党とも一線を画す形で、全力投球することになりました。結果はいかに??
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